2023/07/05 19:44
人口約700人、長野県・木曽の谷奥、御嶽山の麓にある小さな村「王滝村」。
冬は寒く、人も少ない。決して暮らしやすい地とは言えないが、そこには、自然と共に暮らす人々の想いがある。
王滝村は、御嶽信仰のもと、古くから培ってきた自然環境とその恵みを生かした文化が残る、まさに古き良き日本が息づく土地。そこでは、今もなお続く、先人たちが残した貴重な文化を体験することができる。
その固有の文化のひとつに「どんぐり」がある。王滝村の林野率は99.5%。そのうち広葉樹林の比率は50%を超え、その多くがどんぐりを実らせるミズナラである。秋にたくさん実るどんぐりは、実の半分以上が炭水化物で構成され、現在の穀類に匹敵する貴重なカロリー源だった。縄文時代から食されてきたどんぐりだが、コメが主食となった時代になっても、飢餓や冷害をしのぐ食糧として一部の地域でどんぐり食の文化は受け継がれてきた。王滝村もそのひとつだ。
太古から伝わるどんぐり食の文化を後世に繋ぐため、王滝村では平成元年より「ひだみ(王滝地域でのどんぐりの呼称)」と名付けられた村営施設でどんぐり料理を味わい、学べる機会を提供してきた。残念ながら現在ひだみは閉店してしまっているが、長年ひだみを支えてきた瀬戸美恵子さんは、ライフワークとしてどんぐりをはじめとする王滝村の郷土食の継承に尽力している。そして今回、瀬戸さんのご自宅に伺い、瀬戸さんが考案したさまざまなどんぐり料理を味わう機会を得た。我々も初めて知ることとなった、どんぐりの魅力と可能性を紹介したい。
| 想像を超えるアレンジの数々 素朴ながらも繊細などんぐり料理
約束の時間に伺うと、テーブルには瀬戸さんの手料理がずらりと並んでいる。繊細で手の込んだ料理の数々に、思わず感嘆の声が漏れてしまう。どんぐりは瀬戸さんの手によってさまざまな料理にアレンジされており、一見それがどんぐり料理とわからないものも多い。地のものがふんだんに使われており、目で見ても楽しく、何から食べるか迷ってしまう。そんな我々に瀬戸さんはやさしくそれぞれの料理について説明してくれた。
▲油揚げの巾着の中には、どんぐり粉を練り込んだお餅が入っている。
▲木曽の地のものをふんだんに使った料理の数々。瀬戸さんが自宅で育てたフナや、旬を迎えたふきのとうなども使われている。
▲どんぐりのデザートセット。
左からどんぐりサブレ、どんぐりのコーヒーゼリー、どんぐりのあんが入ったどんぐりパイ。
いよいよ実食。1つ1つの料理をゆっくりと味わっていく。この日どんぐりを使用した料理は全部で4品。どんぐり粉を練り込んだお餅を入れた油揚げ巾着と、デザート3品だ。まずはお餅から。苦味や渋みが強いのかと想像していたが、そんなことはなく、むしろ通常のお餅よりコクを感じることができた。鍋や他の具材との相性も良く、とても美味しい。
個人的に、どんぐりの魅力をうまく引き出しているなと感じたのがデザート。ただ甘くなりがちなデザートが、どんぐりの風味とコクとがいいバランスで合わさり、甘すぎない「ちょっぴりビターな大人のデザート」に仕上がっていた。どんぐり本来の苦味や渋みが、とても有効に作用している逸品だ。
瀬戸さんからどんぐり料理について話を伺うと、仕込みまでの苦労をうかがい知ることができた。どんぐりは非常にアクが強く何度もアク抜きをする必要があるそうだ。簡単にその工程を追ってみる。
① どんぐり拾い ~ 天日干し
拾ったどんぐりは殻のついたまま1時間ほど茹でた上で、1週間天日干しにする。
② 皮剥き
カラカラになるまで干したどんぐりの殻を剥き、実を取り出す。
③ アク抜き
実を一晩水に浸しておいた後、重曹とともに弱火で茹でる。
昔は重曹の代わりにどんぐりの木を燃やした灰を活用していたそうだ。
その後アクの出た水を取り替えて、今度は重曹を加えず真水で茹で、アクの出た水を取り替える。この工程をアクが出なくなるまで繰り返すのだが、おおよそ4~5日かかるそうだ。
④ 水切り ~ 裏ごし
アク抜きが済んだどんぐりはザルにあげて一晩水切りをした後に、手作業で潰していく。どんぐりは粉末状になり、それを冷凍保存し、料理に活用する。
▲冷凍保存しているどんぐり粉
こうして工程を追ってみると、おおよそ1ヶ月はかかることがわかる。瀬戸さんは「ひだみ(どんぐり)料理はズクがあればできる」という。「ズク」とは長野県の方言で労を惜しまずに励むこと。どんぐり料理は手間暇のかかることは間違いないが、1つの食文化としてとても貴重なものなのだと実感することができた。世界的に⾷糧危機が叫ばれる中、⽊曽の豊かな⾃然と伝統的な⾷⽂化が未来の世代を救う時が来るかもしれない。我々としても、この食文化を活かして何か形にできないか、と密かに思案中である。
そしてどんぐりの活用は食用にとどまらない。先ほどの作業工程の中で、アク抜きの際に出た水は、染料として活用されている。「どんぐり染め」は防臭効果も高く、煮詰める時間や媒染のタイミング・手法によって、深い茶色から淡いベージュ、グレーなど、繊細で味わい深い仕上がりを楽しむことができ、王滝村で古くから行われてきた伝統的な染色技術だ。昭和の時代には衰退したが、近年、瀬戸さん率いるひだみの取り組みによって再びその技術が息を吹き返した。ひだみのクローズによって現在どんぐり染めを体験できる機会は減っているが、瀬戸さんたちのその想いは、着実に次の世代へと引き継がれている。我々は、現在王滝村でどんぐり染め体験を行っている倉橋さんのもとを訪ねた。
| 王滝村の「どんぐり染め」体験
王滝村役場からほど近い距離にある『農家民宿&大衆酒bar常八』。もともとは村内外の人の交流の場として、空き家となった古民家を改修して誕生した宿である。この宿を営むのが、「Rext 滝越」の代表・倉橋孝四郎さんだ。
Rext滝越では、手打ちそばや釣った魚を食べられる食の体験施設「水交園」や「森きちオートキャンプ場」を運営する地元の企業。2020年10月には、村内外の人の交流の場として「農家民宿&大衆酒bar常八」をオープン。コロナ禍においては、少しでも村にお金がまわればという想いのもと、王滝村の伝統工芸「草木染」を使ったマスクを地元のおばあちゃんたちと共同で製作したり、王滝産ヒノキの精油を使ったアロマオイルを商品化したりなど、王滝の村づくりに貢献している。
コロナ以前のインバウンド事業についても、ただの観光ではなく、人口減少が課題となっている王滝村の手助けとなるような事業を推進。滞在期間にボランティアをしてもらうことで、王滝村の文化や暮らしを学びながら楽しんでもらうという、なんとも画期的なツアーだ。
「どんぐり染め」についても、そのような「王滝村の文化や暮らし体験」の一環として、希望があれば実施している。森きちオートキャンプ場の広大な敷地の中にも多くのどんぐりの木が成っており、また「Rext 滝越」の役員である倉橋さんの父・倉橋五男さんは、もともと静岡県で国内の繊維メーカーに従事しており、その知見もふんだんに活かされている。
今回は1日で体験させてもらうため、事前に染めたいものを郵送し、下準備をしてもらった。基本的には、草木染の色素は綿には染まらないようで、倉橋さんのお父さん曰く、この事前準備が染物を美しく仕上げるための最も重要な工程であるという。ちなみに今回は、KISO ORIGINALで作った手ぬぐいのうち、検品ではじかれたものを活用した。
▲手ぬぐい 木曽のけもの(左) / 手ぬぐい 赤かぶ(右)
まずは、どんぐり拾いからスタート。キャンプ場に落ちていたどんぐりは、主に丸いものからたて長のものまで形はさまざま。地面に落ちたまま芽が生えているものもあり、そのまま放置するとまた新たな樹として育つのだそう。
次に、染料を抽出するためにどんぐりを割って、実をとり出していく。染料の色素をとり出すのは殻の方で、実の方は前述の通り食用として活用される。
ここからいよいよ「どんぐり染め」の染料となる、どんぐりの色素の抽出だ。沸騰させたお湯にどんぐりの殻を入れて、ぐつぐつと煮詰めていく。どんぐりというと焦げ茶色のイメージだが、煮詰めていくごとにお湯の色はどんどん黒くなっていく。香りはまさに紅茶のような草木の匂いで、やさしい香りが特徴的だ。
この日は、「どんぐり染め」の作業にプラスして、いわゆる「絞り染め」に挑戦。お父さんが言うには、絞りの世界には“絞りだけの伝統工芸師”がいるほど奥が深く、芸術的な世界なのだと。そんな話を聞きながら、割り箸や輪ゴムを使ってこの「絞り」の作業をしていく。
うまく絞るコツは、絞った箇所は色素が入らず白くなるので、布の端だけなどに偏らないように、なるべく全体的に満遍なく、折り紙のように考えて絞ることがポイント。どんな模様にしたいか、頭の中で想像しながら想い想いのデザインに仕上げていくが、これがまた難しく、どんな染めに仕上がるか、ワクワク考えながら作業していくのも醍醐味だ。
次に、煮詰めたどんぐりの殻を漉して、色のついた染料だけを取り出していく。
どんぐりの色がしっかりと抽出できたところに、染色したい布を入れ煮詰めていく。しばらく煮詰めたあとは、布が茶色に変わっていくので、色がついたところで火を止めて、水で染料を洗い流す。水気を絞ったら、いよいよ完成間近だ。
最後に特殊な液体を混ぜ込み、一度取り出した布を再度煮詰めていく。これは、布に色素を定着させて色落ちしないための工夫であり、この工程を踏まないと、色が落ちてしまうのだという。
古くから王滝村で親しまれてきた「どんぐり染め」の技術だが、これは数々の合成繊維をみてきたお父さんの、職人ならではの技である。その証拠に、草木染と聞くと、何度も染め直さなければならないイメージだが、一発染めで、なんとも綺麗な落ち着いたグレージュの優しい色合いに仕上がりに。
このあと出来上がった布を天日干しをして、乾かしたら全ての工程が終了する。この日は乾かす作業までは行えなかったものの、各々のオリジナル「どんぐり染め」が完成した。
| 王滝村に残る、魅力的な伝統文化
ここの記事だけでは紹介しきれないが、人口約700人の小さな村、王滝村にはこのように素晴らしい、伝統文化が残っている。「なにもないし、人もいない」と語る地元の方々だが、普段見慣れないものや経験をさせていただいた王滝村での数日間は、確かに刺激的で人生を豊かにする貴重な経験ができる土地だ。少しでもこの記事を読んで、王滝村が気になった方は、ぜひ一度訪れてみてほしい。
Shop Information
農家民宿&大衆酒bar常八
〒3016 長野県木曽郡王滝村 JP 397-0201
TEL :0264-24-0514 宿泊4,000円 / 朝食700円 / 夕食2,000-2,500円 詳細はお問い合わせフォームまたは上記電話番号へお問い合わせください。
森きちオートキャンプ場
〒397-0201 長野県木曽郡王滝村滝越
TEL :080-2382-1569 受付 :8:30-19:00 詳細はお問い合わせフォームまたは上記電話番号へお問い合わせください。
Photo & Edit by KISO ORIGINAL
取材協力 : 瀬戸美恵子さん / Rext 滝越の皆さん